ぼくもかなりネットに依存した生活をしている。
だから、そこには何でもあるような気もするし、何にもないような気もしている。
「ホントの自分」も、そこにはあるかもしれないし、ないかもしれない。
ただ浮遊している状態かもしれない。
そこでは、浮遊している自分がいるような気がする。浮遊しているから、自分でも自分をとらえがたい。
ネットは、おおむね言葉の世界だといえる。
さまざまな言葉を、誰かが発信し、誰かが受信している。好き勝手に発信し、好き勝手に受信することもできる。
さまざまな言葉を追いつづけるかぎり、ぼくの場合は浮遊しつづけることになる。
その状態は快いともいえるし、不安だともいえる。
浮遊しつづけるかぎり、どこかへ辿りつけるかもしれないし、あるいは、どこへも辿りつけないかもしれないのだ。
たぶん、ホントの言葉があるところに、ホントの自分もあるのだろうし、そこが行き着くところなのだと思っている。